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下町に住む自分が下町らしいこと、地元で起きたことなどを紹介します。

by y-okada-0811
 
浅草の歴史って意外と古いんです。
浅草って聞くと何を思い浮かべますか?

浅草は観音様!雷門!っていう方が多いんじゃないでしょうか?!

さてさて、浅草の歴史ってどれくらい前からあるか皆さん知ってますか?
実は浅草の誕生は今から1400年位前のことなんです!!「え~!」そんなに古いの?なんて思われるかもしれませんが、本当なんです。

浅草の誕生は西暦628年にさかのぼります。まだこの一帯がなんと海や湿地帯だったころ、この土地の漁師、檜前浜成竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟が隅田川で観音像を網で掬い上げ、これを土地の長、土師中知(はじのなかとも)が観世音菩薩と知って自宅に安置し礼拝供養しました。この菩薩像は高さ1寸8分、5.5cmの小さな物です。
このころ関東や東北は「東国」と呼ばれる辺境の地として扱われており、中でも現在の東京湾の奥に面した、千葉・東京地区はかなりの部分がまだ海であり、利根川水系の影響を大きく受ける湿地帯でした。
太古の時代から高台になっていた現在の待乳山、弁天山、鳥越神社付近などから陸地化が進み隅田川(昔は宮古川など色々な名でよばれていました)の河口近くで海の幸にも恵まれ、やや高台でもあって災害からも避難しやすく、人々が集まり始め物々交換の場が出来て集落は広がって行きました。
なので、皆さんが良く聞く浅草海苔というのもうなづけますね。

その後西暦645年に飛鳥の都から浅草を訪れた勝海上人が現在地に観音堂を建立、本尊を秘仏としました。そして、西暦857年、円仁(慈覚大師)、聖観音像を作り御前立の本尊として本堂に納めました。
それが現在の浅草寺つながってきます。

江戸時代の浅草は江戸で最も繁華な街として栄えました。初詣、七福神めぐり、隅田川畔の花見、花火、三社祭、ほおずき市、もみじ狩り、酉の市など多くは今に受け継がれています。
歌舞伎をはじめ種々の演芸、見世物、飲食の屋台、楊弓、土産物屋が建ち並び、空き地では大道芸人達が人気を集めていたともいわれています。しかしその周辺は田んぼが広がっていました。これは浅草寺と歓楽地を火事から守るための処置で幕末まで続いていたのです。

そして近代。凌雲閣(十二階)や花やしき、映画館街(興行街)、水族館など様々なものが浅草寺を中心とした六区に形成され、東京初の地下鉄も開業し東京一の繁華街になりましたが、時代と共に少しずつその役目が落ち着きの空間や時代の面影として親しまれるようになって来ています。

皆さんは浅草にどんなイメージをもっていますか?
by y-okada-0811 | 2005-02-16 16:39 | 浅草・蔵前
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