下町に住む自分が下町らしいこと、地元で起きたことなどを紹介します。

by y-okada-0811
 
入谷名物「朝顔市」
夏本番になってまいりました。

2005年7月6日~8日に入谷鬼子母神の恒例「朝顔市」が開催されています。
朝顔市は6日0時に始まり8日23時59分に終わる丸々3日間のイベントです。

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由来は以下のとおり(パンフレットから抜粋)
朝顔は,奈良時代(708~781)下剤として遣唐使により他の薬と共に中国から朝鮮を経て牽午子〈ケンゴシ〉の名で種として渡来した。その後和名で阿佐加保になった。
原産地は熱帯地方で相当以前より中国にあった様です。奈良時代現在の奈良県畝傍地方の薬草園で栽培されたと推測される。
高松塚古墳の西北に牽午子塚古墳があります。
薬であったため花は鑑賞することは少なかった平安時代(782~1182)には薬として用いられた記録がありましたが、その後時代と共に花の色〈原色は淡青色〉変り咲き等之発達をつづけ第一流行期として文化,文政(1804~1829)に色々の朝顔が一般に普及した。
徳川の初期(1603~1700)には水田の蛙道に栽培されて居たとありその後時代の悪化により一時期園芸そのものが衰えましたが、嘉永・安政(1841~1859)に第二流行期に入り各地で品評会が開かれ、奇種、珍種の逸品が現れた。
中でも下谷坂本村字入谷に住んで居た植木師山崎留次郎さんが活躍して色色のアイデアで朝顔作りを広め、大阪の朝顔師と共に大いに普及宣伝した。
その後、明治時代〈1868~1902〉に入り維新で衰えましたが大阪の被害が少なかったので大阪を始め束京を中心に各地で朝顔の会が出現した。
仙台,名古屋,長崎,新潟にも出来た(1888~1902)これが第三流行期になった。
入谷が朝顔で有名になったのは,明治になってからのことで,土質が朝顔造りに適してい たのか、十数件の植木屋が,一軒五六百坪の土地を有し,軒を連ねて朝顔造りを始めたの であります。
その頃の主な植木屋には,丸新・入又・入十、植松・入久・松本、入長・高野植惣・新亀等があリまして、年々大輪朝顔の外、変り種を作り,珍花を咲せ,それを陳列したのが評判になり早晩より見物人が群集し、束都年中行事の一つに数えられるようになったのであります。
当時の模様を下谷繁昌記〈大正三年明治教育社発行〉によって観ますと「入谷の朝顔の全盛を極めたりしは,明治二十四五年頃にして,其の頃は,朝顔を造る植木屋十数軒を数え、入谷の通りは、毎朝,往来止めとなる程なりし也。殊に,当時は,周囲一面の蓮田を廻らしたれば、涼しき朝風に吹かれ乍ら、朝顔を見又蓮の花を見るを得たりしかば、観客頻る多く,非常の盛況を呈したり。」と記載されております。
これ程有名であった入谷の朝顔も,入谷が発展するに伴い,地価と作品のバランスを失い 廃業する植木屋が次々に現れ,遂に大正二年意地づくで踏留っておった植松の廃業を最後に、束京名物入谷の朝顔もその姿を消してしまったのであります。
尚,植松さんの子孫が 現在も花関係で入谷にて盛業中であります。 それから三十五年経った,昭和二十三年,下谷観光連盟並びに地元有志の方々の努力はもとより,台東区の後援を得て,入谷に再び朝顔の市が立つようになって,早晩より深夜に至るまでの終日,往時を凌ぐ盛況を極めていることは又宜なるかなということが出きるのであります。


この時期は各地から朝顔を求めて、普段静かな入谷がとってもにぎやかです。
是非一度足を運ばれてはいかがですか?!
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# by y-okada-0811 | 2005-07-06 17:00 | 上野・下谷
 
鳥越神社大祭
今年も暑い夏が始まった・・・!

今年も鳥越神社大祭が幕を閉じ、熱い夏の始まりを感じている今日この頃です。

さてさて、鳥越神社大祭の写真をたっぷり公開いたします。

鳥越神社は千貫神輿で有名な宮神輿を有し、夜祭として有名です。


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千貫神輿

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# by y-okada-0811 | 2005-06-13 20:15 | 浅草・蔵前
 
鳥越神社
さて、今週末の6月11日・12日には鳥越神社大祭が行われますね。
今年も宮神輿を担ぎに参加させていただく予定です。

それに先駆けて鳥越神社のことについて少しだけご紹介いたします。
因みに私の母の実家が鳥越神社の氏子であることから、私にとっては第二の氏神様なんです。

ご祭神:
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

祭礼日:
毎年6月9日に近い土曜日曜

ご由緒:
鳥越と言う名も平安時代後期頃までは、白鳥村と称していました。鳥越神社は、この村の小高く見晴らしの良い、白鳥山の山頂(現在地)に、白鳥明神として奉祀されたのが始まりです。これが白雉二年(六五一年)五月のことで、景行天皇(人皇十二代)の皇子、日本武尊が東夷を御征伐のときに、此の里へ暫く御駐在遊ばされ、人々は、御威徳を慕い尊びまつり、この里の福徳円満・恒久平和を念願し、奉納されたとされています。

有名な行事:どんと焼き・・・新春に御炊き上げの行事を行っています。

氏子地域:
宮元(鳥越二丁目)・西三筋(三筋一丁目)・三筋南(三筋二丁目)・小島二東(小島二丁目)・
小島二西(小島二丁目)・小島一(小島一丁目)・鳥一(鳥越一丁目)・二長町(台東一丁目)・
柳北(浅草橋五丁目)・浅四(浅草橋四丁目)・柳二(浅草橋五丁目)・浅三(浅草橋二丁目)・
東三筋(三筋一丁目)・三桂(蔵前四丁目)・三筋北(元浅草三丁目)・阿部川(元浅草三丁目)・
栄久(寿一丁目二丁目)・菊屋橋(元浅草四丁目)・北松山(松が谷一丁目)・南松山(元浅草四丁目)・
永住(元浅草二丁目)・七軒町(元浅草一丁目)・志ん猿の二十三町会です。
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# by y-okada-0811 | 2005-06-09 09:55 | 浅草・蔵前
 
このブログをごらんの皆さんにお詫び。
ど~も。管理人のゆうぼうです。

ここ2週間ほど、仕事と体調の関係でブログの更新をしませんですいませんでした。
楽しみにしてくださっていた方がいらっしゃるかどうか判りませんが、これからも以前どおり下町の魅力を僕の視点でご紹介させていただきますので、宜しくお願いいたします。
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# by y-okada-0811 | 2005-06-09 09:25 | 出来事
 
浅草神社 例大祭(三社祭)
5月20日~22日まで浅草神社例大祭、いわゆる「三社祭」が盛大に執り行われました。

c0058779_18373027.jpg土曜日の連合渡御は100輿以上の御神輿が浅草寺の観音裏に集結し、それはもう見事なものです。

日曜日の本社神輿渡御は6時に発輿し、三体の御祭神を担いで渡御します。これはもう有名で説明の必要はないですよね。







ここで、浅草神社についてちょっと説明しておきます。

御祭神:
土師真中知命(はじのまつちのみこと)
檜前浜成命(ひのくまのはなまりのみこと)
檜前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)
恵比須神・・・意外とえびす様が祭られていることは知られていないことが多い。

御配神:
徳川家康公
大国主の命

祭礼日:
5月第3金・土・日

御由緒:
 推古天皇の三十六年三月十八日、漁師の桧前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁労に精を出していたが、その日に限り一匹の漁もなく網にかかるのはただ人型の像だけであった。幾たびか像を水中に投げ捨て、何度場所を変えて網を打ってもかかるのは不思議と人型の像だけなので、最後には兄弟も不思議に思い、その尊像を捧持して今の駒形から上陸し、槐(えんじゅ)の切り株に安置して、当時郷土の文化人であった土師真中知にこの日の出来事を語り、一見を請うたところ、これぞ聖観世音菩薩の尊像にして自らも帰依の念心仏体であることを告げ、諄々と功徳、おはたらきにつき説明するところがあった。
 兄弟は初めて聞く観音の現世利益仏であることを知り、何となく信心をもよおされて、深く観音を念じ名号を唱え、「我らは漁師なれば、漁労なくしてはその日の生活にも困る者ゆえ、明日はよろしく大漁を得させしめ給え」と厚く祈念して、翌十九日に再び網を浦々に打てば、願いのごとく大漁を得た。土師真中知は間もなく剃髪して僧となり、自宅を改めて寺となし、さきの観音像を奉安して供養護持のかたわら郷民の教化に生涯を捧げたという。いわゆるこれが浅草寺の起源である。
 土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、三社権現と称し上記三人を神として祀ったのが三社権現社(浅草神社)の始まりであるとされている。
 これによると創建は今を去る千三百五十年程の昔ということになるが、これは少々無理のようで、平安の末期から鎌倉にかけて権現思想が流行しだした以後、三氏の末裔が崇祖のあまり浅草発展の功労に寄与した郷土神として祀ったものであろうと推定される。
 奇しくも明治維新の神仏分離令により浅草寺との袂を分かち、明治元年に三社明神社と改められ、同6年に現在の名称に至る。
 今もなお、「三社さま」として親しまれている浅草神社であるが、元来三人の神様をお祀りしたことからそのようによばれている。
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# by y-okada-0811 | 2005-05-23 18:38 | 浅草・蔵前
 
秋葉神社 例大祭
過日5月18日に秋葉神社の例大祭が行われました。
ただ、例大祭といっても秋葉神社には御神輿が存在しないため、宮司による祭礼です。

秋葉神社は前回「秋葉神社 神社めぐり第2弾」でも書きましたが、もっと詳細に書きます。

御由緒:
明治初年東京府内に火災が頻発し市民の難渋せる状を御憂慮された英照皇太后(明治天皇御母)の思召を以って、明治天皇より太政官に御下命になり、宮城(皇居)内紅葉山より鎮火三神を奉還し、東京府火災鎮護の神社として現今の秋葉原の地に創建されたのが秋葉神社の始めである。明治21年鉄道駅建設の為境内地を払い下げ現在地に御遷宮となる。秋葉原の駅名も秋葉神社名にその因を発する。

御祭伸:
火産霊大神(ほむすびのおおかみ)…火の神
水波能売神(みずはのめのかみ)…水の神
埴山比売神(はにやまひめのかみ)…土の神

主祭日:
 5月18日 例大祭
11月 6日 鎮火祭・火渡神事(これが火を裸足でわたることが出来る日です)

前回、静岡県春野町にある秋葉山本宮秋葉神社のながれと書きましたが、その事実ははっきりとしていません。
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# by y-okada-0811 | 2005-05-23 18:19 | 上野・下谷
 
小野照崎神社 大祭
投稿が遅くなりましたが、過日5/13、5/14、5/15と小野照崎神社の大祭が盛大に執り行われました。
今回の大祭は菅原道真の生誕1160周年の一大イベントだったのですが、本社神輿は出ず、かげ祭りでした。

小野照崎神社の紹介はこちらをご覧下さい。
金曜日、毎年の通り仕事になりません。
15:00に神酒所の造営を終わらせ、15:30から小野照崎神社の宮司様が御霊入れの儀で軽く一杯。

5/14(土)の宵宮

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5/15(日)連合渡御

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今年も夏が始まった・・・!
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# by y-okada-0811 | 2005-05-20 19:00 | 上野・下谷
 
下谷神社 大祭
c0058779_15162576.jpg5/6(金)5/7(土)5/8(日)の3日間上野にある下谷神社がお祭を開催しておりました。

まぁ、金曜日からと申しましても、金曜日は神酒所清祓・御霊入れ神事があるだけ(と言っても実はこれが一番重要なんですが)で、一般の方々にはあんまり関係ない日ですので実質土日なんですが。

下谷神社は鳥居の色(赤)を見ての通りお稲荷様です。

ここで簡単に下谷神社のことについてご説明します。

下谷神社の御祭神は「大年神(おおとしのかみ)」・御配神は「日本武尊(やまとたけるのみこと)」です。

大年神は天照皇大神の御弟素盞雄尊の御子で五穀を主宰し厚く産業を守護し給い、倉稲魂命共にひろく「お稲荷様」として祭られている神様であります。

明治5年までは「正一位下谷稲荷社」と呼ばれていました。

余談になりますが寛政10年(西暦1798年)に江戸で初めて寄席が行われた由縁の地で、境内には「寄席発祥の地」の石碑が建立されております。


今年は本社神輿は巡幸しない影祭でしたが大変な盛り上がりでした。

さて、私の地元の隣町ということで私も六北の町会神輿を担がせてもらいました。
町内巡幸と連合渡御。盛大に行われました。

また、神社内に鎮座している本社神輿も拝ませていただき、ついでに縁日を堪能させてもらいました。c0058779_15163530.jpg
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# by y-okada-0811 | 2005-05-08 23:59 | 上野・下谷
 
下町のフランス料理屋さん
今日は久しぶりに谷根千に行ってきました。
谷根千とは谷中・根津・千駄木を総称して言うんです。

こういっては何ですが、あの地域は入谷や下谷より全然活気があります。

そんな、谷根千にはおしゃれだったり、おしかったりのお店が目白押しです。

そんな中で今日は家庭的な大衆フランス料理屋さんに行ってきたのでご紹介します。

c0058779_0243038.jpgお店の名前はエスカルゴ。場所は根津神社の近くです。

その名の通りエスカルゴはとても美味しいです。

エスカルゴの味付けには4種類ほど種類から選べるようになっており、今日はガーリックとアオカビチーズのエスカルゴにしました。

美味しい。

そのほかにもオードブルはお肉もお魚もうまく調理されています。

フランスパンがまたとっても美味しい。表現が難しいので表現できませんが・・・。

ランチは安くて味そのままみたいですので、是非って感じです。

たまに行くならこんな店でした。
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# by y-okada-0811 | 2005-05-05 00:25 | 谷中・根津・千駄木
 
小野照崎神社
小野照崎神社
私が愛する神社だ。
なぜならば、生まれも育ちもこの小野照崎神社の氏子としての土地であるし、初詣も受験のときも、何か困ったことがあったときも、お祭りのときもいつもそばにある神社だからだ。

この小野照崎神社は前にも書いた下谷の富士塚がある。詳しくは「上野(下谷)の富士山?!」を読んでほしい。

小野照崎神社の御祭神・御配神は小野 篁命菅原道真命である。

ここで小野 篁命菅原道真命の紹介をしたい。以下は小野照崎神社のホームページから抜粋である。

c0058779_3592590.jpg御祭神  小野 篁命 (おののたかむら)
 小野岑守(みねもり)の子として延暦二十一年(802年)に生を受け、平安初期の儒学者そして歌人として識られ,下野国の任に就き、我国の最初の学校である足利学校を創立された。
遣唐副使に任ぜられ、遣唐使の無謀な遂行に異を唱え、任を解かれるものの秀でた才能により参議の位まで昇られたことから野相公と称された。
  『令義解』を撰し、「経国集」「和漢朗詠集」「扶桑集」「本朝文粋」等の文集を記され、百人一首『わだの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海士のつり船』を詠まれている。
 子孫には書家三蹟の小野道風や歌人六歌仙の小野小町が居られます。


c0058779_3594192.jpg御配神  菅原道真命 (すがわらみちざね)
 承知十二年(845年)に京都菅原院で誕生され、幼い頃より学才は群を抜き、多くの優れた漢詩や和歌を作られ、『三代実録』『菅原文操』『菅原後集』等を撰集し、空海・小野道風と共に『三聖』と尊称されました。
 また弓術・囲碁・弾琴等の諸芸にも通じられ、篤い天神信仰の御祭神であります。


小野照崎神社鎮座の由来
小野 篁公が御東下の際に上野照崎の地に安らぎを得て、居を構え、里人たちを親しく教育して上野殿と尊称され、御遺跡を留められたことから、篁公がご逝去された仁寿二年(852年)に地元の人々が渇仰して、小野照﨑大明神と祀ったのが起源とされています。
 江戸時代に上野寛永寺を建立する為に、幕府から 兼務していた坂本村の長左衛門稲荷神社(現在の鎮座地)に移るよう下命があり、遷祀されました。
 江戸末期に回向院より御配神である菅原道真命御手刻の尊像を遷祀し、江戸二十五社天神の一つとして尊崇されています。


ご利益(ごりやく)
学業成就、技芸向上、病気平癒

東京下町八社参りの一つで、学問・芸能の神様として信仰を集めています。
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# by y-okada-0811 | 2005-05-04 04:00 | 上野・下谷


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