「
小野照崎神社」
私が愛する神社だ。
なぜならば、生まれも育ちもこの小野照崎神社の氏子としての土地であるし、初詣も受験のときも、何か困ったことがあったときも、お祭りのときもいつもそばにある神社だからだ。
この
小野照崎神社は前にも書いた下谷の富士塚がある。詳しくは
「上野(下谷)の富士山?!」を読んでほしい。
小野照崎神社の御祭神・御配神は
小野 篁命・
菅原道真命である。
ここで
小野 篁命・
菅原道真命の紹介をしたい。以下は小野照崎神社のホームページから抜粋である。
御祭神 小野 篁命 (おののたかむら)
小野岑守(みねもり)の子として延暦二十一年(802年)に生を受け、平安初期の儒学者そして歌人として識られ,下野国の任に就き、我国の最初の学校である足利学校を創立された。
遣唐副使に任ぜられ、遣唐使の無謀な遂行に異を唱え、任を解かれるものの秀でた才能により参議の位まで昇られたことから野相公と称された。
『令義解』を撰し、「経国集」「和漢朗詠集」「扶桑集」「本朝文粋」等の文集を記され、百人一首『わだの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海士のつり船』を詠まれている。
子孫には書家三蹟の小野道風や歌人六歌仙の小野小町が居られます。
御配神 菅原道真命 (すがわらみちざね)
承知十二年(845年)に京都菅原院で誕生され、幼い頃より学才は群を抜き、多くの優れた漢詩や和歌を作られ、『三代実録』『菅原文操』『菅原後集』等を撰集し、空海・小野道風と共に『三聖』と尊称されました。
また弓術・囲碁・弾琴等の諸芸にも通じられ、篤い天神信仰の御祭神であります。
小野照崎神社鎮座の由来
小野 篁公が御東下の際に上野照崎の地に安らぎを得て、居を構え、里人たちを親しく教育して上野殿と尊称され、御遺跡を留められたことから、篁公がご逝去された仁寿二年(852年)に地元の人々が渇仰して、小野照﨑大明神と祀ったのが起源とされています。
江戸時代に上野寛永寺を建立する為に、幕府から 兼務していた坂本村の長左衛門稲荷神社(現在の鎮座地)に移るよう下命があり、遷祀されました。
江戸末期に回向院より御配神である菅原道真命御手刻の尊像を遷祀し、江戸二十五社天神の一つとして尊崇されています。
ご利益(ごりやく)
学業成就、技芸向上、病気平癒
東京下町八社参りの一つで、学問・芸能の神様として信仰を集めています。